戦中 Ver. 2.0

前にブログ記事を書いてから、あっという間に20日以上が経ってしまった。ある人がTwitterで「震災以後、tweets数が激増している人と激減している人とに分かれている。私はかなり減ったと思う。それ以外にすることが増えたから」と書いてあったが、私もある意味同じ境遇にあった。

東北での震災で亡くなった方と、生活の目処が立たず苦しんでいらっしゃる被災者の皆さんには、心からお悔やみ申し上げたいと思います。

震災後は、米軍が大規模な救援活動を行っており、一日本人としてはアメリカに本当に感謝したいし、現地で頑張っておられる米軍の皆さんには頭が下がる思いです。また、アメリカに対して私と同じような感謝の念を抱いている人たちもかなり多いのではないだろうか。

米軍が懸命に救援活動を行う中、沖縄の琉球新報が「米軍の災害支援 それでも普天間はいらない」という社説を3月18日に出した(社説本文はこのブログ記事の最後にも載せてあります)。

これにはとても驚かされた−−。社説の内容についてではない。社説に対する反響の大きさにである。

その社説が掲載されている新報サイト内のページ(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-174892-storytopic-11.html)には、そのページ経由で出されたツイートの数が表示されているが、その数がこのブログ記事を書いている段階で、何と786に達している。琉球新報はこれまでも米軍や普天間基地沖縄県内移設に反対する社説を出しているけれども、それらに対するツイート数と比較しても、今回はまさに「桁違い」なのである。

今回の社説に対するツイートを読んでみたところ、予想通り批判が多かった。最近は少し落ち着いた意見も見受けられるけれども、特に社説が出てから間もない頃は感情論がとりわけ多く、そのほとんどは「何で今こんな社説を出すのか?米軍が日本のために頑張ってくれているのがわからないのか」というものだった。

上に書いたとおり、私も米軍の救援活動には感謝しているし、新報社説を批判したツイートを書いた人たちの気持ちもよく理解できる。だが同時に、新報を特に感情的に批判している人たちに対しては危機感を覚えざるを得なかった。

何故か。

日本が先の大戦へ突き進んで行く過程や戦時中に、言論統制が軍部、マスメディア、そして国民自身により行われたことが様々な記録を紐解けば分かると思うが、新報社説に対する感情的批判を見ていると、一部の人たちが恐らく無自覚のまま、同じ「言論統制」を繰り返しているように見えるからである。

「日本のため被災地で頑張っていてくれる米軍」を批判した新報を「非国民」と呼ぶ事と、「お国のため、戦地で頑張っていてくれる皇軍」を批判する者を「逆賊」呼ばわりしたのは、一体どう違うのであろう?国民自身が異論を排除し、また異論を表明できないような環境を作り出したことが、日本を無謀な戦争に走らせた原因の一つではなかったか?

日本だけでなく、最近アメリカも同じ道を辿った。

特に9・11直後のアメリカで「テロとの戦い」に異論を唱えれば、どれほど叩かれたを覚えている方も多いだろう。結果、国、マスメディア、国民が一体となって、アフガン、イラクとの戦争を始めてしまった。世界的な批判を物ともせずに。

日本でもアメリカでも、多くの人が「善意」から異論を叩き、排除したのだと思う。ここに「善意」の恐ろしさがある。無自覚な集団的善意が時に過ちをもたらしてしまう可能性を決して忘れるべきではない。自由に異論を表明し、また、それを受け入れる余地は絶対に残さなければならない。特に民主主義社会を機能させるためには、これは最低条件である。

新報社説に対する批判では、「なぜ今こんなことを言わなければならないのか?」というものも多かった。しかし、意見というものは、表明したいと思う者が、表明すべきだと考える時に言えば良いものだと思う。

社説でも触れられているが、最近確かに米側が支援活動と沖縄でのプレゼンスの重要性を絡めたステートメントを出していることもあり、琉球新報としては、今それを批判すべきだと判断したのだろう。

ただ、琉球新報が自らの主張に対して支持を得たいと思っているのならば、件の社説をこの時期に出したのは明らかに失敗であろう。

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米軍の災害支援 それでも普天間はいらない
琉球新報3月18日社説)

効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか。
 東日本大震災への米軍の災害支援に絡めて、在日米軍普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える。
 在沖米総領事館は、沖縄から基地従業員を含む海兵隊所属の約480人や普天間、嘉手納両基地所属ヘリ、第31海兵遠征部隊の兵員2200人が災害支援で被災地へ向け派遣されたと発表した。
 未曽有の大震災に伴う死者や行方不明者の捜索、被災者救援は急務だ。原発事故に伴う放射能への被ばくリスクがある地域で救援に取り組む人々には敬意を払いたい。
 しかし、災害支援は売名行為ではない。人道上の見地から本来、見返りを期待しない、崇高な精神でなされるべきものだろう。
 在沖米海兵隊は「普天間基地の位置が、第3海兵遠征軍の災害活動に極めて重要であることが証明された」「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」と普天間飛行場の地理的優位性を強調する。
 悲しみに打ちひしがれる死者・行方不明者の家族や被災者への配慮はないのか。そもそも近傍の基地ではなく、被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか。地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。
 米軍の説明は、独り善がりで筋が通らない。政治的打算に基づく言動は、県民、国民の米外交に対する信頼回復にとって、かえってマイナスだろう。
 「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などと差別発言をして更迭された米国務省ケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ。
 メア氏は発言発覚後も学生が作成した発言録について「正確でも完全でもない」と非を認めず、今もって県民に謝罪をしていない。
 日本の「和」の文化を「ゆすり」と同一視する差別発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復権など願い下げだ。
 はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。