ヒヤ・ウィ・ーゴー、エブリィバディ、カモン、ロックンロール!

春が来ると、なーんかこの曲を聴きたくなっちゃうんだよな〜。「梅の花、桃の花には咲きません」っつー桃内の句のせいかなぁ。でもこのアルバムが発売されたのも確か春休みの頃だったはず。当時、私は小5か小6で、テクノ小僧だった(うっ、年齢がバレてしまう)。

「スネークマンショー」-「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」 - YouTube

このアルバムを買うために親にお小遣いを頼んでも、間違いなく却下されそうだったので(どうせ教育上よろしくないと判断されるだろう、と子供なりに考えた訳だね)、ナイショの話だが、塾の月謝を黙ってくすねて、決死の覚悟でこれを買った。そしてもちろんバレて怒られた。

だが、くすねた段階で先々バレることが目に見えていたので、このアルバムに加えてYMOの「増殖」を買い、さらに塾に行かずに通っていたゲーセンで残りのカネも全部使ってやったぜ、はっはっは。

それにしても、このアルバム「スネークマンショー」は凄い。桑原茂一の選曲・構成センスも最高だし、あの時点で「ごきげんいかが1・2・3」を書いた細野(晴臣)さんも、やはり凄過ぎ。

この曲のインストラメンタル・バージョンが欲しいなぁ。DJユースに持って来いだと個人的には思うのだが。

せーの、「ヒヤ・ウィ・ーゴー、エブリィバディ、カモン、ロックンロール!」

カピカピ

カピバラカピバラカピバラが見た〜い!」とここ数ヶ月言い続けている者が我が家に約1名いたので、久しぶりに休日を取った今日、クルマで1時間ほどのところにある動物園に行き、件のカピバラを見てきた。

私はあまりアウトドアで元気に遊ぶタイプでもない上、カピバラにもとても関心がある訳でもなかったので、家人の「カピバラ見たい無限ループ」のスイッチが入った時には、正直どうしようかと思っていたのだが、あまりに気持ちの良い春の日だったので、思い切って出かける事にした。

動物園に入り10分ほど歩くと、家人お目当ての「どうぶつ・ふれ合いコーナー」があった。考えてみると今は春休みということもあり、そこは中々の数の親子連れで賑わっていた。

余分に数百円を払って「ふれ合いコーナー」に入ってみると、そこでまず目にしたのは、マルチーズやチワワのような小型犬や、ウサギ、ハムスターたちだった。

ワンちゃんたちは子供たちに特に人気のようで、その場にいた犬は一匹残らず子供に抱っこされていたり、一緒にあそんでもらっていた。無邪気に遊ぶ子供たちと小さな犬たち。愛らしい光景だ。

ただ、よく見てみると、犬たちは子供たちに抱っこされているというよりも振り回されており、愛らしい光景とは裏腹に、犬たちはみんな目が「どよーん」として、クタクタに疲れていた。人気の犬などはボロボロになっている感じがした。思わず心の中で「お仕事お疲れさまです」と呟いてしまった。

ピクニックテーブルの上には2羽のライオンラビットがいた。犬に比べると反応が無いせいか、そのウサギたちのそばには子供たちはいなかった。頭でも撫でてやろうかとそばに行くと、「俺は眠みーんだよ!ほっとけ、ボケ」という感じでにらみつけられた。2羽のうちの1羽は、グレーの毛のモジャモジャ具合がアル中・ホームレスのおっさんのように見えたせいもあり、にらみつけられても妙に納得感があった。

その横には、ただひたすらキャベツを食っているハムスター達がいた。

その向こうに、カピバラが二頭、柵の中に居た。ただ居た。こいつら永遠に活発に活動することはないんじゃないか、と思わせるような怠惰感を漂わせながら、ボテーっとしていた。

動かなかった。

当然、子供達はいない。

その柵の前で家人と二人、5,6分ぼーっと佇んだ。

柵に長い雑草の茎が立てかけられてあった。それを「カサっ」と動かすと、カピバラは一瞬ピクっと動いた。それから、またボテーっとした。

こちらも再びぼーっとしていると、係のお兄さんが「そこに積んである草をやると食べますよ」と親切に声をかけてくれたので、長さ1メートルちょっとほどのそれを取ってきて、手前にいたカピバラの口元に持っていってみた。

しかし相手にしてくれなかった。

仕方が無いので、カピバラの顔の前で草をシャカシャカ揺すると、とーっても面倒臭そうに、口をあけて草を食べ始めた。「シャク、シャク、シャク、シャク」と一定のリズムで、草を噛んでいるのが聞こえた。


途中で食べ飽きて、またボテーっとするのかと思っていたが、意外なことに全部食べたので、もう1本草を取ってきて、顔の前で揺すった。そうすると、また面倒臭そうに食べ始めた。「シャク、シャク」と一定のリズムで草を噛むのだが、今回は「シャク、シャク、シャク、シャク、ピタッ、シャク、シャク」と間が一瞬入ったりして、見ているこちらも面白くなってきた。

面白い気分が向こうにも伝わったのか、それとも食欲に火がついたのか、もう1本草を取ってくると、こんどはすぐに食べ始めた。「シャク、シャク、ピタッ、シャク、シャク」

そして1本、また1本。

このカピバラは食事のマナーが良かった。与えられた草は、残さずきちんと最後まで食べた。感心である。

次の1本は、カピバラのちょっと違ったリアクションが見たくなったので、家人がカピバラの顔から少し離れたところで草を揺すってみた。すると、怠惰なカピバラが何と立ち上がり、一歩踏み出して草を口にした。家人と二人で「おおー。」

その歩みを「カピバラの偉大なる一歩」と名付ける事にした。

しばらくすると、「もう十分食べたよ」という雰囲気を感じたので、草をやるのを止めて、またしばらく柵の前で、二人ぼーっとした。

そして、そこを離れた。

犬たちの所へ戻ると、いつの間にか子供達はいなくなっていた。そして犬たちが屍のように点々と床で伸び切っていた。

犬が二匹、ベンチの上でもヘタばっていたので、可哀想に疲れただろう、と家人と頭を撫でてあげると、うれしそうに目をウルウルさせていた。しばらく頭を撫でた後、その場を離れようとすると、「もっと撫でて」という仕草をするので、もうしばらく続けた。

出口のカウンターの内側では、犬が2匹カゴの中で休まされていた。係員が犬の疲れ具合をちゃんと観察しているのが分かり、安心した。

「ふれ合いコーナー」を出ながら、さっき頭を撫でていた犬に目をやると、今入ってきたばかりの幼女が、楽しそうにその犬を振り回し始めていた。

戦中 Ver. 2.0

前にブログ記事を書いてから、あっという間に20日以上が経ってしまった。ある人がTwitterで「震災以後、tweets数が激増している人と激減している人とに分かれている。私はかなり減ったと思う。それ以外にすることが増えたから」と書いてあったが、私もある意味同じ境遇にあった。

東北での震災で亡くなった方と、生活の目処が立たず苦しんでいらっしゃる被災者の皆さんには、心からお悔やみ申し上げたいと思います。

震災後は、米軍が大規模な救援活動を行っており、一日本人としてはアメリカに本当に感謝したいし、現地で頑張っておられる米軍の皆さんには頭が下がる思いです。また、アメリカに対して私と同じような感謝の念を抱いている人たちもかなり多いのではないだろうか。

米軍が懸命に救援活動を行う中、沖縄の琉球新報が「米軍の災害支援 それでも普天間はいらない」という社説を3月18日に出した(社説本文はこのブログ記事の最後にも載せてあります)。

これにはとても驚かされた−−。社説の内容についてではない。社説に対する反響の大きさにである。

その社説が掲載されている新報サイト内のページ(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-174892-storytopic-11.html)には、そのページ経由で出されたツイートの数が表示されているが、その数がこのブログ記事を書いている段階で、何と786に達している。琉球新報はこれまでも米軍や普天間基地沖縄県内移設に反対する社説を出しているけれども、それらに対するツイート数と比較しても、今回はまさに「桁違い」なのである。

今回の社説に対するツイートを読んでみたところ、予想通り批判が多かった。最近は少し落ち着いた意見も見受けられるけれども、特に社説が出てから間もない頃は感情論がとりわけ多く、そのほとんどは「何で今こんな社説を出すのか?米軍が日本のために頑張ってくれているのがわからないのか」というものだった。

上に書いたとおり、私も米軍の救援活動には感謝しているし、新報社説を批判したツイートを書いた人たちの気持ちもよく理解できる。だが同時に、新報を特に感情的に批判している人たちに対しては危機感を覚えざるを得なかった。

何故か。

日本が先の大戦へ突き進んで行く過程や戦時中に、言論統制が軍部、マスメディア、そして国民自身により行われたことが様々な記録を紐解けば分かると思うが、新報社説に対する感情的批判を見ていると、一部の人たちが恐らく無自覚のまま、同じ「言論統制」を繰り返しているように見えるからである。

「日本のため被災地で頑張っていてくれる米軍」を批判した新報を「非国民」と呼ぶ事と、「お国のため、戦地で頑張っていてくれる皇軍」を批判する者を「逆賊」呼ばわりしたのは、一体どう違うのであろう?国民自身が異論を排除し、また異論を表明できないような環境を作り出したことが、日本を無謀な戦争に走らせた原因の一つではなかったか?

日本だけでなく、最近アメリカも同じ道を辿った。

特に9・11直後のアメリカで「テロとの戦い」に異論を唱えれば、どれほど叩かれたを覚えている方も多いだろう。結果、国、マスメディア、国民が一体となって、アフガン、イラクとの戦争を始めてしまった。世界的な批判を物ともせずに。

日本でもアメリカでも、多くの人が「善意」から異論を叩き、排除したのだと思う。ここに「善意」の恐ろしさがある。無自覚な集団的善意が時に過ちをもたらしてしまう可能性を決して忘れるべきではない。自由に異論を表明し、また、それを受け入れる余地は絶対に残さなければならない。特に民主主義社会を機能させるためには、これは最低条件である。

新報社説に対する批判では、「なぜ今こんなことを言わなければならないのか?」というものも多かった。しかし、意見というものは、表明したいと思う者が、表明すべきだと考える時に言えば良いものだと思う。

社説でも触れられているが、最近確かに米側が支援活動と沖縄でのプレゼンスの重要性を絡めたステートメントを出していることもあり、琉球新報としては、今それを批判すべきだと判断したのだろう。

ただ、琉球新報が自らの主張に対して支持を得たいと思っているのならば、件の社説をこの時期に出したのは明らかに失敗であろう。

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米軍の災害支援 それでも普天間はいらない
琉球新報3月18日社説)

効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか。
 東日本大震災への米軍の災害支援に絡めて、在日米軍普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える。
 在沖米総領事館は、沖縄から基地従業員を含む海兵隊所属の約480人や普天間、嘉手納両基地所属ヘリ、第31海兵遠征部隊の兵員2200人が災害支援で被災地へ向け派遣されたと発表した。
 未曽有の大震災に伴う死者や行方不明者の捜索、被災者救援は急務だ。原発事故に伴う放射能への被ばくリスクがある地域で救援に取り組む人々には敬意を払いたい。
 しかし、災害支援は売名行為ではない。人道上の見地から本来、見返りを期待しない、崇高な精神でなされるべきものだろう。
 在沖米海兵隊は「普天間基地の位置が、第3海兵遠征軍の災害活動に極めて重要であることが証明された」「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」と普天間飛行場の地理的優位性を強調する。
 悲しみに打ちひしがれる死者・行方不明者の家族や被災者への配慮はないのか。そもそも近傍の基地ではなく、被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか。地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。
 米軍の説明は、独り善がりで筋が通らない。政治的打算に基づく言動は、県民、国民の米外交に対する信頼回復にとって、かえってマイナスだろう。
 「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などと差別発言をして更迭された米国務省ケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ。
 メア氏は発言発覚後も学生が作成した発言録について「正確でも完全でもない」と非を認めず、今もって県民に謝罪をしていない。
 日本の「和」の文化を「ゆすり」と同一視する差別発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復権など願い下げだ。
 はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。

国会中継をR-12指定にしてしまえ

昨日テレビをつけたら、NHK参議院予算委員会での質疑を中継していた。最初はなんとなくBGMみたいな感じでその中継を流していたのだけれど、段々テレビが騒がしい感じがしたので、質疑をよく見てみた。

不快、下品、嫌悪感 -- 他にどのような言葉で言い表せばいいのかよくわからないが、見ていてものすごく嫌な気分がした。断っておくが、私は別に民主党支持者でもないし、自分のことをいわゆる無党派層だと思っており、民主党自民党どちらの肩も持つわけではないが、それでも自民党議員の「質問」に嫌悪感を持たざるを得なかった。あれではまるでチンピラか、たちの悪いクレーマーである。

自民・西田昌司参議院議員の「質問」Part 1/4

Part 2/4 http://www.youtube.com/watch?v=E1e8t9Gv6Tc
Part 3/4 http://www.youtube.com/watch?v=5m15cijBV04&feature=related
Part 4/4 http://www.youtube.com/watch?v=8b6UskQVNPk&feature=related
(議員の質問に対する見方も人によって様々だと思いますので、公正を期すためにすべてのパートへのリンクをここに挙げます。)

自民党は一体いつからこんなに品格の無い党に成り下がったのか。民主党政権が機能不全の上、国民の支持も低いため、再び政権の座に返り咲くためには今が民主の叩き時と考えるのはわかるが、それにしても自民党議員の横柄な口調や口汚いヤジを聞いていると、一体何の権利があってそこまで横柄になれるのか甚だ疑問であり、不快である。

例えば、西田議員の質問で言及されている前原外相の献金問題などは、法に照らせば厳密な意味では不正であろう。それを追及するのは確かに「正義」なのかもしれないが、正義を横柄に振り回す様というのは、見ていて非常に醜いものである。そもそも、その正義を振りかざしている自民側も、スネに傷を持つ身ではないか。よくもそんな態度が取れるものだと呆れてしまう。

質問者が大臣を怒鳴りつけ、周りの議員がそうだ、そうだ、と同調のヤジを飛ばす様など、まるでイジメをみているようである。もし小学校のホームルームでこんな状況が起これば、担任の教師がすぐに止めに入ることだろう。私ももし近くに自分の子供がいたら、すぐにTVを消すか、チャンネルを変えたことだろう。大の大人がこんな事をしている姿を見せるなんて、教育上良いとはとても思えない。こんな国会質疑が続くのならば、NHKの中継はR-12指定にでもしてしまえば良いと、冗談ながらも思う。

この西田議員、延々と献金問題について質問した後、締めくくりでこう宣うた。

「今日はね、他にもまだ私言いたかった(質問したかった)。日銀の白川総裁にも来て頂いたけれど、デフレ問題というのは非常に大きいんですよ。だから、まずデフレ対策の集中審議をお願いしたい。」

これはつまり、デフレ問題について答弁させるために日銀総裁を呼び出してたが、献金問題で質問時間を使い果たしたので、ムダ足を運ばせたということだ。

前原外相が在日の経営者から4年間で20万円を受け取っていたという話と、デフレ問題では優先すべきはどちらなのか?集中審議という手もあるかもしれないが、なぜ与えられた質問時間を有効に使わなかったのか?また、日銀総裁に時間を浪費させるとは、この議員、一体どんなに偉いのだ?

政治と政治家のレベルの低さをあらためて見せつけられた気がし、腹が立つと同時にますます国の将来に不安を募らせた金曜の午後だった。

素晴らムダ

アップルとデジタル音楽サービス企業が24ビットの音楽ファイルの配信を開始するために協議中らしいけれど、これについてギズモードが「24ビットの高音質にしても利用者にはなんの得にもならない理由(http://www.gizmodo.jp/2011/02/24-bit.html)」という中々痛快な記事を出してくれました。オーディオに関してあまり詳しくない方には、???な部分が多いかもしれませんが、記事の要点は、この一点につきると思います→「一般消費者にとっては24ビットなんて無用の長物」ということ。記事には「24ビットの動きは大詐欺の様相を帯びつつある」とまで書いてあって、ここまで正直に書いて大丈夫?という感じもしますが、良くぞここまで言った!Gizmodo偉い!

記事の内容を簡単に言うと、レコーディングスタジオでは

  • 演奏を録音すると、CD化する前にまず余計な雑音を取り除いたり、音をキレイにする作業を行う。その作業では、音を細か〜く聴いて手直しなどをする必要があるので、音質が良い24ビットはとても有益。

ところが普通に音楽を聴く人にとっては、

  • そもそもスタジオでの作業のように細かく「音」を聴くわけでもないので、24ビットは必要ない
  • さらに、携帯楽曲プレーヤーの多くで24ビットオーディオが再生できない
  • その上、24ビットだと音楽ファイルのサイズが大きくなる

ということです。

あくまでも私の素人意見ですが、私たちが普段携帯プレーヤーで持ち運んでいるmp3なんかよりはるかに音質が良いCDでさえ16ビットです(付け加えると、24ビットのオーディオファイルを音楽CD化すると16ビットになってしまいます)。それに、防音設備で外音が防げるスタジオとは異なり、私たちは色んなノイズだらけの生活環境で音楽を聴いているわけで、オーディオマニアの人や、音質にとてもこだわっている人は別として、室外で携帯プレーヤーを通して音楽を楽しんでいたり、部屋のPC・CDコンポなんかで軽く音楽をかけている、なんていうフツーなリスナーにとって24ビットが本当に価値があるか疑問です。ちなみに、よりハイレベルな意見を知りたい方はこちらもどうぞご覧下さい。

まぁ、なんだかんだと付加価値をつけて、消費者からより多く金を取ろうという魂胆なのでしょう。24ビットファイルの発売が始まれば、対応プレーヤーもどんどん市場に出してくるのでしょう。でも所詮は「素晴らしいけどムダな物」だと思います。

もし携帯プレーヤーなどでヘッドフォンを通して音楽を聴いているけれど、音質に満足できないという方がいたら、まずヘッドフォンを良いものに換えてみてください。それだけで音質はかなり変わります(逆にそこに目をつけたのがDr. Dreなのかもしれませんね。それに加えて24ビットをプロモートするあたりは、かなり商魂たくましいですね)。それから、ここでは詳しい説明は割愛しますが、普段mp3ファイルを聴いているならば、より高いビットレートのファイルを使って下さい。320kbpsにもなるとwavファイル(CD音質)とは違いがほとんど分からないというプロの方もいます(意見は割れるところですが)。

               ★  ★  ★  ★  ★

24ビットの高音質にしても利用者にはなんの得にもならない理由 - Gizmodo

Appleとデジタル小売各社が24ビットのオーディオを提供するらしいですね。売るのは簡単。「スタジオは24ビット使って楽曲ミックスしてるんだから消費者もこれで聴かないと」って言われたら、普通そうかなって思っちゃいますもんね? それが大間違いなんですよ。

24ビットのオーディオは確かにレコーディングスタジオでは必需品かもしれないけど、スタジオどまりになっているのにはそれなりの理由があるんです。

24ビットの音は「ノイズフロア」(サイレント・アンプリフィアを無茶苦茶高くかけても聞こえるノイズ)が本当に低く、16ビットだと若干高い。音をクリアな大音量で再生するスタジオだったらコレ問題かもしれないけど、エンドユーザーはもう完全にマスターし終えたノイズのない状態で買うのだから、ノイズフロアなんて関係ないんですね。

CDの音質は消費者向けのHD並みな音の定義として一応受け入れられているわけですが、あのCDですら16ビットですし。

24ビットの音は「ダイナミックレンジ」(一番小さな音と一番大きな音の差)もベターというんですけど、ダイナミックレンジなんて既にCDので十分ですよ。今は大音量を競うラウドネス戦争のせいで、楽曲はほんの数デジベルの範囲に収まってます。テレビのCMがあんなにうるさいのも理由は同じ(音が大きい方が売れると思ってる)。現代の音楽は鼓膜つんざくような音に最初からミックスされてちゃってるので、昔デジタル革命で起こると約束されたダイナミックな利点なんてどっか飛んじゃってるんですね。これは音楽業界内部のカルチャーの問題なので、3月25日は「ダイナミックレンジの日」ということで反対運動も行われるようですよ。

スタジオなら楽曲ミックスでデジタルエフェクトを加える微妙な処理があるので、高い24ビットのレゾリューションのファイルの利点を活かす場もあるんですが、家で聴く人はエフェクトなんて使いませんものね。

あと24ビットだとファイルサイズもでかくなるし、携帯楽曲プレーヤーの多くは24ビットのプレイバックをサポートしていないんですね。これも忘れちゃならないポイントです。

一般消費者にとっては24ビットなんて無用の長物なんです。この先もずっと。

なのにどうして24ビットなのか?

ここで出てくるキーマンがヒップホップのプロデューサー、ドクター・ドレーDr. Dre)です。彼は数年前からオーディオ愛好家向けに「Beats」というヘッドフォンを出しています。彼が所属するレコード会社インタースコープのジミー・アイオヴィーン(Jimmy Iovine)会長兼CEOも、HDファイル鑑賞用のハイレベルなヘッドフォンとして宣伝すれば売れるという手応えを感じたようで、共同でプッシュしてるんですね。

24ビットというコンセプトを大手レーベルと楽曲配信サービスに持ちかけたのは、このBeats Audioのチームなんです。Spotifyみたいな楽曲配信サービスはファイル容量が大きくなればストリーミングの時間とコストが嵩むので太刀打ち出来なくなる、これで今成長中の楽曲サブスクリプション市場から既存の販売収入を取り戻せるよ、とでも進言したんでしょう。

先日開かれたHPのwebOS搭載新製品発表の場でアイオヴィーン会長は「ユニバーサルと24ビットに変更する作業を進めているところだ」ということを明らかにしました。「Appleも協力的だ。彼らと他のデジタルサービス(ダウンロードサービス)と共同で24ビットへの移行を行っている。彼らの電子端末の一部にも変更を加えることになるので、まだ先は長いけどね」

ハイファイ産業にとってオーディオ愛好家は常にカモ...気を付けないと。iPod付属ヘッドフォンで聴くより良質な機器で聴く方が音がいいのは疑問の余地もないことだけど、今の音楽産業のマーケティングに任せていたら世の中オーディオ愛好家だらけになっちゃいますよ。

CDみたいな16ビットのロスレスオーディオをiTunesで提供するんなら、レコーディング関係者も歓迎・推奨したと思うんですが、24ビットの動きは大詐欺の様相を帯びつつあるように思いますね。業界は無形のものに価値を見出して売り込む達人かもしれないけど、それで値段とストレージが嵩むんでは損をするのはまた消費者でしょう。

コム・デ・ギャルソン

今日は忙しいので、ブログだけど、つぶやくことにしよう。

大学に入ってフランス語を初めて勉強した時に、コム・デ・ギャルソンが「少年たちのように」という意味と知って、「なんじゃこりゃ?」な気分に。コム・デ・ギャルソンの名前の由来はよく知らないが。(91文字。セーフ。)

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